残された課題

2014年10月31日-11月4日中日新聞信州版

遺族の思い

危険な兆候知らせて

御嶽山の噴火で亡くなった若林和男さんの遺影に手を合わせる妻けい子さん=松本市岡田で

 「けが人多数」「死亡情報も」-。9月27日、ニュースは徐々に明らかになる御嶽山噴火による被害を伝えていた。

 若林けい子さん(64)は松本市岡田の自宅で夫の和男さん(66)の携帯電話に電話をかけ続けた。だが、呼び出し音は鳴っても応答しない。携帯電話を持ったまま祈るような気持ちでテレビを眺めるしかなかった。

 和男さんはこの日午前4時半に自宅を出た。けい子さんは前夜のうちに山頂で食べるおにぎりやおかずを作ってあげた。玄関で見送ろうとすると、「こんなに早く起きてこないでいいのに」と気遣ってくれた。けい子さんは「気を付けて」と言って、送り出した。

 登山のとき、和男さんは「これから帰るよ」とメールを必ず送ってくれた。だから、「下山しているので余裕がないのでは」と思い込もうとした。でも、どんなに待ってもメールは届かず電話もかかってこない。不安で寝付けなかった。

 翌朝、同行した仲間から電話があった。「もうだめだと思う。すみません、すみません」とむせび泣いていた。和男さんが亡くなり、助けられずに謝っていると察した。3日後、遺体が見つかり、木曽町の旧上田小学校で対面した。痛々しい姿ながらいつもの穏やかな顔だった。「苦しんだのは十分くらいでしょう」。検視した医師の言葉がせめてもの救いだった。

 遺品のリュックサックに、おにぎりやおかずがこぶし大の噴石と一緒に入っていた。血まみれのベストや上着、つながらなかった携帯電話もあった。

 山好きの和男さんは、松本市内の美ケ原高原でガイドやごみ拾いをするボランティア団体に所属し、御嶽山へはボランティア仲間6人で出掛けた。

 美ケ原高原から御嶽山を眺めて「行きたい」と話していたのを、けい子さんは覚えている。初めての御嶽山登山を前に、9月初旬からパソコンで山の情報を調べていた。「すごく楽しみにしていました」

 10月中旬、和男さんのパソコンを見ると、御嶽山で火山性微動が多発した9月11日に受信した仲間からのメールが残っていた。「御嶽山が少し動いているようです。噴火レベルは平常なので慌てる必要はありません。待ってろよです」

 けい子さんは登山者の大半が安全だと思い込んでいたと推測する。「危ない兆候が少しでもあれば、山頂まで登らないよう注意を出してもよかったのでは」。二度と犠牲者が出ないことを願う。

 噴火から1カ月。夫を失った気持ちは整理できない。「今も帰ってきそうな気がしてメールしそうになるよ」。遺影に手を合わせ、毎日そう話し掛けている。

心のケア

相談や交流 継続必要

 ある母親は息子の帰りを待っていた。持ち込んだたくさんの写真を眺め、無表情なまま肩を震わせることもなく、すーっと涙がほおを伝わった。

 御嶽山の山頂付近で警察や自衛隊などによる捜索活動が続く中、行方不明者の家族のために麓の木曽町に用意された待機所は、悲しみに包まれていた。

 「かける言葉も見つからなくて、つらかった」。待機所で行方不明者家族の心のケアにあたった女性看護師(55)は、この時の様子を語った。

 県は、噴火直後から精神科医らで構成するDPAT(災害派遣精神医療チーム)や保健師らを現地に派遣し、けがをした人や行方不明者家族らの心のケアにあたった。

 女性看護師は木曽町の待機所で3日間、血圧を測ったり、体をマッサージしたりして寄り添った。しかし、家族を失ったつらさが増すのはこれからだと考えている。

 全国から登山者が訪れる御嶽山で起きた火山災害で、犠牲者の多くは県外在住者だった。無事に下山できた人たちもトラウマを抱えている。中京圏を中心に全国にいる被害者のケアを今後どう進めるかが大きな課題となっている。

 「私たちが全国に散らばった人に能動的にかかわるのは難しい。これでケアが終わるというむなしさがある」と女性看護師は打ち明けた。県の担当者も「誰が登山していたのかも分からず、こちらから悩んでいる人に接触できない」と難しさを語った。

 「遺族や被害者にできることは記憶を整理させること。そうでないと強烈な記憶がフラッシュバックしてしまう」。東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市で心療内科医を務める桑山紀彦医師は、被害者同士が交流を深めることが重要だと訴える。

 「無事下山した人も、なんで自分が生き残ったと自分を責める。誰にも話さず抱え込むと、会社を辞めたり引きこもりになったりすることもある」と指摘した。

 今回の噴火を受け、県警は遺族らに全国各地の精神保健福祉センターの連絡先をまとめたパンフレットを手渡し、県精神保健福祉センターは各地のセンターに心のケアを必要とする人への対応を依頼した。センターの小泉典章所長(57)は「センターでなくてもいい。誰かに相談してほしい」と呼び掛ける。

 現場で行方不明者家族の心のケアにあたった長野赤十字病院の峯村朝子看護係長(44)は「可能なら、遺族や生き残った人に在宅訪問のような形でケアを続けられれば良い。押しつけになってはいけないが、そうしないと継続したケアは難しい」と語り、医療関係者と行政が連携を取ってケアを続ける必要性を訴えた。

観光関係者

ネットで地道に発信

ブログとフェイスブックで開田高原の日常を発信し続けている向原さん=木曽町の開田高原観光案内所で

 「九蔵峠(くぞうとうげ)のカラマツや木曽馬の里のブルーベリーは、しばらく見ごろです」

 木曽町の開田高原観光案内所に勤める向原充子さん(52)は、フェイスブックとブログで地域の情報を発信している。

 噴火直後、ブログへのアクセスはそれまでの10倍となる1万件を超えた。「開田高原には入れない」「火山灰が積もっている」など誤った情報が乱れ飛び、問い合わせの電話も相次いだ。目の前に広がる風景と、受話器の向こう側でイメージする眺めが、あまりにも違うことを痛感した。

 「ありのままを知ってほしい」。そんな思いから毎日出勤前に紅葉や御嶽山の姿などを撮ってはブログなどを更新する。説明は最小限にして事実を淡々と伝えることを心掛けている。

 更新される情報を見た人から応援のコメントも寄せられ、励まされている。「ゆっくり滞在してもらえるようになるまで、地道に発信を続けます」

 人々をのみ込む勢いで立ち上る煙、降り注ぐ噴石や火山灰。御嶽山が噴火した後、連日のようにこうした報道が続いた。麓では普段と変わらない生活が続いていたにもかかわらず、木曽地域の穏やかな印象は一変。紅葉シーズンを迎えた観光地は静まり返り、宿泊施設は予約のキャンセルが相次いだ。

 地元の木曽町観光協会は噴火翌日の9月28日、旅館や土産物店などの会員にアンケートを実施し、10月3日には緊急の役員会を開いて対応を協議した。

 火山災害として戦後最多の犠牲者を出した被害の大きさから、本格的な観光宣伝に踏み出せない難しさがあった。千村孝男会長は「ホームページなどで、それぞれ正確な情報を伝えてほしい」と呼び掛けた。

 木曽町の国道19号沿いにある「道の駅 日義木曽駒高原」も、客足を取り戻すため模索している。10月の連休に組んだイベントは、「祭り」の文字を外して派手にならないように配慮し、ホームページでの情報発信に力を注ぐ。

 運営する日義特産の水崎直美社長(64)によると、休日のマイカー客は戻ってきたが、観光バスの減少で平日の売り上げは低迷したまま。「冬場は例年厳しいが、特産のすんきや赤かぶを生かし、少しでも巻き返しにつなげたい」と話す。

 そんな中、木曽町観光協会の須藤邦男事務局長(58)は、明るい兆しも感じている。「町を歩く人が目につくようになり、観光案内の依頼も増えてきた」

 地域が主催する冬のイベントも開催に向けて動きだしている。「どうすれば木曽に足を運んでもらえるか。あらゆる可能な手段を考えたい」と先を見据えている。

スキー場

揺らぐ地元の収入源

オープンに向けゲレンデの草刈りが進む開田高原マイアスキー場=木曽町で

 「スキー場を営業しなくても、維持管理には相当な費用がかかる。どこまで会社が耐えられるか…」。

 10月25日に木曽町で開かれた県と観光関係者の意見交換会。御嶽山の入山規制区域にゲレンデの一部が含まれる王滝村のスキー場「おんたけ2240」を運営する御嶽リゾート総支配人の栗屋文則さん(60)は、厳しい現状を訴えた。

 1961年に村営として開設されたスキー場は、2012年から指定管理者の子会社の御嶽リゾートが運営している。人口900人足らずの村で100人の雇用をつくり、麓にある旅館約30軒の収入の基盤にもなり、地域経済を支える存在となっている。宿泊施設の経営者らも今回の噴火に大きく心を痛める一方で、「春までの経営も綱渡り状態だ」と切実な声が出ている。

 御嶽山は9月27日の噴火直後から入山規制となり、火口から4キロの範囲への立ち入りが制限されている。おんたけ2240は、仮に規制の範囲が3キロまで縮まれば営業が可能になる。このため、麓の宿泊業者は規制範囲を縮小することへの期待が根強いが、火山噴火予知連絡会は、当面現在の警戒レベルを維持する方針を示している。瀬戸普村長は「重く受け止めなければならない」と話す。

 御嶽リゾートはスキー場を営業するかどうかの判断を11月10日までに下すことにしている。栗屋さんは「火山の麓にあるスキー場は日本各地にある。おんたけ2240が営業できなければ、影響は木曽郡内だけでは収まらないだろう」と今後広がる影響への危機感を募らせる。

 木曽町のスキー場も、オープンに向けて不安を抱えている。御嶽山麓の開田高原マイアスキー場は入山規制の区域外にあるが、運営会社「アスモグループ」の今孝志社長(60)は「噴火の予測が難しい中で、スキー客の安全をどう守るかを考えていかなければならない」と対策を急いでいる。

 同社は、きそふくしまスキー場とグリーンシーズンに営業する御岳ロープウェイも運営する。家族を含めれば町民の半数以上が3施設の事業に関わっているという。

 「町民の生活がかかっているのに、閉ざすわけにはいかない」と両スキー場のオープンを決めたものの、今社長は、風評被害などさまざまな要因で利用客が大幅に減少することを覚悟している。

 「どんなにつらく悲しいことがあっても、われわれはこれからも御嶽山と向き合って生きていかなければならない」と今社長。スキー客だけでなく住民も安心して暮らせるよう、木曽に国立の火山研究所を設けることを切望している。

警戒レベル

柔軟な対応で命守れ

 9月11日午前10時半ごろ、県危機管理部に気象庁から一枚の臨時ファクスが届いた。御嶽山の火山活動について「山頂付近で火山性地震が増加しています」と書いてあった。

 「白根山並みになってきたな」。県の担当者は、6月に気象庁の噴火警戒レベルが2に引き上げられた長野、群馬県境の草津白根山(2160メートル)のことが頭に浮かんだ。

 念のため長野地方気象台に電話で「警戒レベルの引き上げはありますか」と尋ねた。「まだその段階ではない」との回答を受け、ファクス用紙を上司らに回覧するだけにした。ファクスは翌日と16日もあったが特別な対応は取らなかった。最初のファクスから16日後、噴火は起きた。

 県と麓の自治体は、警戒レベル2で火口周辺1キロを立ち入り規制する取り決めだった。「気象庁のレベルが変わらないと対応できない」。県の担当者はこう語り、無力感を漂わせた。

 一般的に火山の麓にある自治体は警戒レベルに応じて対策を定めている。だが、それに限らず独自ルールを定める自治体もある。

 山頂火口湖「湯釜」が見える展望台に年間約50万人が訪れる草津白根山。2009年に火山活動が活発化した際、警戒レベル1で群馬県草津町は山頂500メートルを立ち入り禁止にした。

 町や群馬県は火山の専門家をメンバーとする防災協議会でこの判断を下した。メンバーの東工大の野上健治教授は「噴火口という『リスク』に人が集まって来ると考えて対策を立てている」と判断する際の明確な基準を明かす。

 熊本県の阿蘇山は火口周辺のガス濃度や風向きにより観光客の見学区域を規制する独自ルールがある。阿蘇市の担当者は「一番の防災は火口を見せないことだが観光で生計を立てる方もいる。火口を見せる以上、今できる対策を尽くさなくてはいけない」と語る。

 御嶽山は麓の自治体が草津白根山のような協議会設置に動く中、噴火した。危険を知らせるシグナルは発せられず、紅葉シーズンの昼下がりに山頂付近にいた57人が命を落とし、6人が行方不明となった。

 県は専門家や山小屋関係者に呼び掛け、本年度中に協議会を立ち上げる方針だ。県木曽地方事務所の担当者は「警戒レベルが変わらなくても登山者の安全を守る柔軟な規制を作るかどうかも、今後話し合うことになるだろう」と話した。

 気象庁の噴火警戒レベルが1の時、どうやって命を守る対策を打つことができるのか。戦後最多の犠牲者を出した火山災害は、県や麓の自治体に果てしなく重く、大きな課題を突き付けた。

 (この連載は、成田嵩憲、小西数紀、西川正志、五十幡将之、福本雅則、吉川翔大、森若奈が担当しました)