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<くらしデモクラシー>生存権 揺るがす格差 森戸元文相、訴えた社会保障の土台

2019年6月16日 朝刊

国会議員時代の森戸辰男元文相(1949〜50年ごろ、檜山洋子さん提供)

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 人間が人間らしく暮らす「生存権」が揺らいでいる。貧富の格差は広がり、生活への不安が暗い影を落とす。公的年金以外に老後に二千万円も必要とする国は、戦後民主主義が目指した「未来」なのだろうか。憲法に「生存権」の規定を盛り込んだ元文部相の森戸辰男(一八八八〜一九八四年)の長女檜山洋子さん(84)=広島市南区=は「父が生きていたら嘆くでしょう」と残念がる。 (神野光伸)

 「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」

 日本国憲法がベースにした連合国軍総司令部(GHQ)の草案にはない概念は、終戦直後の国会審議で憲法に盛り込まれた。

 一九四五年十二月二十六日に、民間の憲法研究会が公表した憲法草案要綱にあった文言だった。「生存権」を主張したのは、研究会メンバーで、初の男女による普通選挙で衆院議員になったばかりの森戸だ。

 「父は救える人たちを救い、皆を幸せにする社会にしていかなければと考えていたのだと思います」と、檜山さんは振り返る。

 福山藩(広島県福山市)の藩士の家に生まれた森戸は、東京帝国大(現・東京大)に進学。経済学誌に発表した論文をめぐる言論弾圧で大学を追放された。戦後、四六年の衆院選で社会党から出馬して当選。片山、芦田内閣で文相を務め、五〇年からは広島大の初代学長に就いた。

 檜山さんは、夜行列車で東京と広島を頻繁に行き来したころの父の姿をよく覚えている。胸ポケットはいつも名刺でいっぱいだった。「厳しい就職難で、車内には客の荷物を盗む学生たちも少なからずいた。父はそんな学生たちに、困ったら『うちにくればいい』って名刺を渡していたそうです。学生や市井の人との対話を大切にした人でした」

 森戸が訴えた生存権は、そんな人々の暮らしを支える日本の社会保障制度の土台を築く。

 当時の憲法案審議について近現代史研究者の小池聖一さん(58)は「基本的人権に含まれるから、生存権は入れなくていいという議論もあった。だが、敗戦下で困窮する国民を見るに見かねた森戸がこだわった。森戸自身も、社会が豊かになれば、生存権なんて当然の権利は憲法にうたう必要はなくなると考えていた」と説明する。「残念ながら今も、森戸が残した生存権は、最低限の安全装置になっている」

 経済大国となったはずの日本では七人に一人の子どもが貧困にあえぎ、年金格差や不平等に歯止めがかからない。生活保護は切り捨てられ、生存権は置き去りだ。憲法が目指した日本の姿だろうか。檜山さんは、ゆっくり首を横に振った。「一生懸命働いて、子どもを育てて。それでも生活に余裕がある人は少ない。それを年金だけで暮らせないなんて無責任極まりない。これが民主主義って言えるのかしら」

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