千葉
2017年10月17日
(届け出順、敬称略)
幼児教育から大学までの教育費無償化の実現を掲げる。「教育で家計を助け、経済を浮上させたい」
東京都新宿区出身。「『政治家が悪い』と悪口を言うだけではだめだ」と思い、二〇一二年に当時小沢一郎氏が代表の「国民の生活が第一」に入った。小池百合子都知事と二度戦った東京・10区を離れ、衆院選は三度目の出馬となる。
昨年三月に茂原市に引っ越した。千葉11区を「情の深い地域」と印象を話す。飲食店の経営や店のコンサル業を担う会社で社長を務め、商売歴は二十九年に及ぶ。趣味は草野球やバレーボール。
党憲法改正推進本部長と衆院の憲法審査会長を歴任。
「これからの時代に適用できるような憲法に改めていくことは私どもの責務」と改憲に賛成する。一九九〇年の初当選のころに比べて「改憲の議論ができるようになった」と時代の変化を明かす。
今年五月、安倍晋三首相が提案した憲法九条に自衛隊を明記する改憲案には、「これまでの自民党で一番抑制的な九条改正案」と評価する。
原子炉施設の溶接技術の研究で工学博士号を持つ。「基幹的エネルギー源の一つ」と述べ、原発推進派。趣味は料理。
「アベノミクスで国民生活が破壊され、格差と貧困が広がっている」と憤り、消費税10%中止を訴える。
三度目の出馬。二〇一四年七月の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を「一番の怒り」と挙げ、「立憲主義の回復を目指す」と意気込む。「憲法をきちっと守る視点だけでなく、生かす」と語り、憲法に基づく社会保障の充実や税金の使い方の必要性を訴える。
神奈川県横須賀市生まれ。一九七七年に横浜市で起きた米軍機の墜落事故で安保条約に疑問を抱き、翌七八年に入党した。
趣味は美術館巡りと鈍行列車での旅。
千葉大一年の頃、長崎県で開かれた原水爆禁止世界大会で被爆者の話を聞き、「社会は自分たちの力で築き上げていくものだ」と思った。平和のために一番精力的に活動していると感じた共産党に入党した。
木更津市生まれで、経済産業省への出向も含め、同市役所で計五年間勤務した。
現在は党県委員会勤務。娘が一歳でためらいもあったが、「社会を変えたいという思いに向き合って答え出しな」との妻の一言で、出馬を決意した。
子どもと遊ぶのが何よりの楽しみ。「いろいろなことが日々できるようになるのがうれしい」
当選八回。安倍晋三首相と同期で衆院議員になり、昨年九月に衆院予算委員長に就任。「森友・加計(かけ)問題」の対応で、荒れた衆院委員会の運営に冷静に対処した。首相の対応については「もう少し懐深く、謙虚に、謝るところで謝っていれば、こんなふうにならなかった。残念」と振り返る。
趣味は自民党の三人と続けるバンド活動。ボーカルとMCを担当する。八月初旬にレコーディングしたが、メンバー三人が内閣改造で大臣に就任し、年末に予定していたライブが持ち越しになったのが心残りだ。
還暦を過ぎ、健康法としてストレッチにも励む。
自由党・小沢一郎代表の元秘書で、運転手やかばん持ちを務めた。「おい」と名前で呼ばれないほど近しい間柄で、公式な場で「樋高先生」などと言われると「虫ずが走る」と笑う。
衆院選では比例復活を含め、神奈川県で三回当選。自由党を離党し、今回は急きょ、希望の党公認で千葉12区での立候補になったが「今までの選挙区は川崎市だったが、今回はアクアラインの対岸。これも縁」。
「愚直に」をモットーとし、平野貞夫・元参院議員の娘である妻に教えてもらい、県のマスコット「チーバくん」や各地のご当地キャラを愚直に学んでいる。
県立高校で三十五年、教員を務めた。両親の子育て放棄などで三食食べられない生徒や長時間労働に悩む教員など、多様で複雑な問題を目の当たりにした。教育の専門知識を持つ政治家として、国会で問題解決に当たるべきだと思った。
専門の教科は歴史。「なぜ憲法ができたのか。平和主義があるのか。歴史を引き継がないと、昔の道を歩んでしまう」と憲法改正は断固反対の立場だ。
好きな言葉は「誠実」。趣味は日本画の鑑賞とゲームで将棋をすること。健康作りでは毎日一万歩を目標にウオーキングにも励んでいる。
「中道リベラルをしっかり守る」の強い思いで、衆院選に初めて挑む。
母校の大学OBに菅直人元首相がいる。在学中に菅氏が解決に尽力した薬害エイズ問題と直面したことをきっかけに政治への関心を深め、旧民主党を「結党時から応援し、地域活動に携わってきた」と話す。
本来は、生命の起源がテーマの研究者。学術機関やバイオベンチャーに籍を置き、医薬品開発に当たってきた。その道から、いったん外れても「民意を無視する今の政治を正していきたい」という。
趣味はヨット。妻、一女一男の四人暮らし。
船橋市の農家に生まれただけに、農業振興を熱く語る。「13区は、ナシの白井、スイカの富里があり、地域の特産物を生かす後押しをしたい」。「食糧の確保、国土保全の観点からも、価格と所得補償による再生産可能な農業施策が求められる」
衆院選挑戦三回目の前回、初当選を果たした。政治を志す原点は、高校講師を務めていたとき、高い学費を理由に進学をあきらめた生徒たちと出会ったこと。「親の経済力で夢が絶たれるのはおかしい」と教育無償化を訴える。
船橋市議の夫、三歳の長男と三人暮らし。
今回の選挙を「社会保障、教育、安全保障、憲法で、未来の設計図をつくるためのもの」と位置付ける。特に社会保障については「高齢者に手厚い今のままの制度ではパンクする。次世代のためにお金を使うという耳の痛いことも訴えたい」と話す。
「私が訴えていることは十年前に参院選に立候補した時以来、変わっていない。時代が私に追いついてきた」と自信をほのめかす。最近の息抜きはバイク乗り。利根川を越え、隣県の霞ケ浦まで走ることも。妻、長男の三人家族。「小学五年生の息子は、自然が大好き」と目を細めた。
「安倍晋三首相に権力が一極集中し、独善的な政治を抑制する力が必要と考えていたときに、希望の党が生まれた」と、立候補の動機を話す。
勝浦市出身で、歯科医院を開業していたが、青年会議所活動などを通して「政治へのもどかしさを感じたため」、自身が政治家になろうと決意。二〇〇九年の衆院選の比例南関東ブロックで旧民主党の公認候補として立候補し、当選した。一二年の衆院選では、旧日本未来の党からくら替え出馬したが、落選した。
家族は妻、大学生の長男、高校三年生の長女。読書が趣味という。