茨城
2017年10月17日
(届け出順)
生まれも育ちも日立市。小学生の時、父親の本を読んで政治家に憧れを抱き、卒業アルバムには「将来の夢は、政治家かパイロット」と書いた。
国学院大院を修了して自民党職員になった。「国政に関われて、やりがいを感じられると思ったから」と振り返る。政治の舞台を間近で見ながら、選挙対策担当で全国を駆け回った。三重や青森県知事選などに関わり、党と地元の議員との橋渡しの役割を果たした。
政治家を目指す転機は、東日本大震災。地元の県北地域が被害を受けたことに心を痛めた。「地元の混乱をなんとか収め、復興させたい」。党本部で十三年間培ったキャリアを生かせる国政に挑戦し、二〇一二年に初当選した。
目標とする政治家は田中角栄元首相。「罪の部分を反面教師にしながら、国民に夢を与えられる政治家になりたい」と意気込む。
趣味はサッカー。年に一度、地元の高校対抗のOB戦で汗を流す。市内で妻と二男二女の六人暮らし。多忙な議員生活だが「子どもといる時間を少しでも長くとりたい」と両立を図る。
「障害者が自立し、差別のない平等な社会を目指していく」。そう思う背景には、生まれつき視覚と知的障害がある次女と三女の存在がある。
通わせていた県立盲学校(水戸市)では、周囲の支えや手助けの重要さを痛感した。「社会的にそういう体制が確立することが大切だと思った」
県立盲学校ではPTA会長を務めたほか、障害者の幼児教育の充実が必要と考え、母親たちと一緒に幼稚部の開設に向けて運動。実現にこぎ着けた。
そうした活動を続ける一方、議員として社会を変えようと一九九八年、県議選に初挑戦。衆院選にも二度出馬し、いずれも敗れたが、二〇〇八年に東海村議選で初当選。二期務め、福祉問題などに取り組んできた。
「障害のある子は平和な社会でないと生きられない」と、憲法九条を守る立場を強調する。選挙区内にある日本原子力発電東海第二原発の再稼働にも、反対を強く訴える。
趣味は卓球で仲間とともに汗を流すこと。日立市出身で、現在は村内で夫と二人暮らし。
日立製作所日立研究所の研究員として、自動車向け半導体センサーの開発に携わっていた。車が好きで「学生の頃から、自分の望む分野の仕事だった」と充実感を得ていた。
研究者時代、米国など海外の展示会を訪れることが多かった。その中で、技術を生み出すだけではなく、ビジネスモデルや規制の見直しの重要性に気づいたという。「もっと産業が活躍できる素地をつくりたいと思うようになった」
政治に関心を持ち始めたのは、労組の役員を務めてからだ。「仲間のために働く仕事。周囲の人も一緒に幸せにならなければいけないという意識に変わった」
同じ選挙区で衆院議員を九期務めた大畠章宏さんの選挙を手伝うように。二〇一五年九月、公設秘書となり、手腕を間近で見てきた。半年後、後継者として指名を受けた。大畠さんのモットーは「真面目に働く者が報われる社会をつくる」。地盤とともに、しっかりと引き継ぐつもりだ。
座右の銘は日立製作所の行動規範「基本と正道」。東京都出身で、日立市で妻と長女と三人暮らし。