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<争点の現場>(上)返還進まぬ「米軍根岸住宅地区」 少人数だから放置なのか

2017年10月12日

「ここが日米の境界」と、自宅の敷地と道路の境目を指さす佐治さん=横浜市で

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 横浜市中心部から車で十分ほどの場所に、巨大な“ゴーストタウン”が広がっている。同市中、南、磯子区にまたがる「根岸住宅地区」。終戦二年後の一九四七年に東京ドーム九個分、約四十三ヘクタールの敷地が連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、米海軍横須賀基地の管理下で米軍人とその家族ら約四百世帯が住んでいた。二〇〇四年に日本への返還が決まり一五年十二月には全世帯が退去して民間のマンションなどに移った後も、動きがない状態が続いている。

 「庭の芝は手入れされているけど、野球場は草が伸び放題。夜は暗く、酔っぱらいが侵入したといううわさも聞く。先が見えない」

 疲れ切った表情で語るのは佐治実さん(69)と妻みどりさん(66)夫婦。戦後の混乱期になぜか接収を免れ、地区内に“孤島”のように存在する民有地に立つ一軒家で暮らしている。

 みどりさんの祖父が一九三六年にこの土地を取得し、家を構えた。五一年生まれのみどりさんは生後すぐの頃から米軍住宅に囲まれた生活だった。犬の散歩に行くにも「真っすぐ前を見て歩け。キョロキョロするな」と注意された。

 結婚後に移り住んだ実さんは、米軍人に苦情を言って銃口を突き付けられたこともあった。二〇〇三年のイラク戦争の際はゲートで止められ、帰宅できなくなった。米軍と交渉し、救急車やタクシーは呼べるようになったものの、制約が多い暮らしは変わっていない。

 返還されない理由は、根岸に代わる米軍人用の住宅整備が進んでいないためとされる。根岸返還の条件として日米両政府は〇四年、横浜市金沢区と逗子市にまたがる「池子住宅地区」に住宅を建設することで合意した。

 ところが動きは鈍く、「百七十一戸を建設する前提で基本設計が終わり、今後、環境影響評価(アセスメント)などを行う」(防衛省南関東防衛局)段階で、着工すらしていない。横浜市基地対策課の担当者は「根岸を早期に返還するよう国に要望を出しているが、二年前から説明がない」と明かす。

 こうした先行きが見通せない状況に佐治さん夫婦が感じるのは、政治の無関心だ。この地区に住み続けている日本人は二世帯だけ。「少人数だから放っておけばいいと考えているのではないか」と語る。とはいえ、問題を解決できるのは政治だけだとも思っている。「とにかく生きているうちに返還の道筋を付けてほしい」と訴えた。 (加藤益丈)

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 身の回りで起きている問題は、突き詰めれば国政につながっている。県内に横たわる課題の「病巣」はどこにあるのか。米軍、外国人労働者、空き家。この三つのテーマの現場を歩きながら、「国会議員に求められる視点と政策」を探る。

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