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福島、復興道半ば 全線開通 国道114号周辺で聞く

2017年10月13日

国道114号が全線開通し、浪江町から福島市に抜けるルートがつながった=福島県浪江町で

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 東京電力福島第一原発事故の爪痕が残る福島県では、今も五万五千人が県内外に避難している。一方、幹線道路の復旧や商業施設のオープンが相次ぐ。福島の人たちは現状をどう感じ、今回の衆院選にどう臨もうとしているのか。九月二十日に残っていた通行止め区間が解除され、六年半ぶりに全線開通した国道114号沿いなどで聞いた。(宮尾幹成)

 今年四月に一部を除いて避難指示が解除された富岡町に入ると、解体作業中の住宅が目についた。地震や津波で大打撃を受けたJR常磐線は、線路が交換され、富岡駅は立派な駅舎が新築されている。三月、国道6号沿いに全館開業した複合施設「さくらモールとみおか」の駐車場は車で埋まっていた。

 数カ月前から一般客が増え、夫婦連れで花の鉢を買う姿も。十数人に声をかけたが、「自宅の様子を見に来た」「県外から仕事で来た」という人ばかり。富岡町に帰還したという住民には出会えなかった。

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 夫や娘と買い物に来たいわき市の林正子さん(81)は年金暮らし。原発事故の後、富岡町から避難して東京や埼玉、福島県内を転々。八カ所目でやっと、今の一軒家に落ち着いたという。

 「いわきは不動産が高騰しているが、条件に合う復興住宅が見つからず、思い切って買った。被災者の住まいには、まだ政治の目が届かないところがあるんじゃないかしら」。投票には必ず行くといい、「素人じゃなくて、行政に慣れてる人がいい。普段の活動ぶりで決めたい」。

 6号をさらに北上し、浪江町から福島市に抜ける国道114号に入った。通行止めが解除されたとはいえ、放射線量の高い帰還困難区域を通る。山側に向かうに従い、車外に取り付けた線量計の値は上がり、毎時三〜四マイクロシーベルトの区間が数キロ続いた。国が示す長期的な除染目標の十数倍の数値だ。川俣町に抜けるまでに百台ほどの車とすれ違った。

 川俣町山木屋地区の復興拠点として七月にオープンした「とんやの郷」。福島県伊達市の会社員佐藤健(たけし)さん(60)は114号の全線再開を「便利にはなりますよね」と歓迎する一方、「道路の復旧は進んでるけど、キノコや山菜の出荷制限は続く。完全な復興はまだかかるでしょ」と話した。

 福島県内に取引先が多い秋田市の縫製機械修理工の石川智(さとし)さん(65)はきれいに舗装された国道に驚きつつ、「夜も明かりが消えた民家ばかり」と感じる。「選挙になると復興に予算を付けますと景気のいい話ばかり。でも出どころは税金。使えばいいというものじゃない」と注文を付けた。

 隣の飯舘村。今も帰還困難区域が残るが、八月には道の駅「までい館」がオープンした。犬を連れていたいわき市の運転手鈴木保夫さん(70)は「(福島第一原発がある)双葉町や大熊町を除けば、復興は進んできたのでは」と話す一方、国の復興事業は「予算の詳しい使い道がよく分からない」とも。「候補者にきちんと説明する姿勢があるか見極めたい」と話した。

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