統一地方選後半戦が告示され、舌戦が始まった。11の区長選に現職9人、新人22人が立候補した。主な候補者の横顔を、3回に分けて紹介する。
(届け出順。年齢は投票日基準。年齢横の表記は、左から、公認政党、現新元別、当選回数、推薦を受けた政党)
◇中央区(5候補)
◆余暇に楽しむハーモニカ
熊倉哲也(くまくら・てつや)さん(55) 無新
約三十年間勤めた総合宝飾会社を辞め、退路を断っての出馬。経営企画部門で中長期ビジョンや予算の取りまとめに関わり、「粘り強く交渉することを学んできた」と振り返る。
二〇一六年、小池百合子知事の政治塾に入り、政治活動を始めた。選挙でのボランティア活動を重ね、一八年から「地域課題を解決する会」を率いる。「自分はスーパーエリートではないが、人と人をつなぎ、皆の能力を最大限発揮してもらう仲介役に適している」と自任する。
オフタイムにはブルースハープと呼ばれるハーモニカの演奏で気分転換する。
◆ゴルフから屋上緑化関心
梅原義彦(うめはら・よしひこ)さん(67) 無新
ゴルフは小学三年から始めた。ゴルフスクールを二〇〇九年まで経営し現在もコーチングを引き受ける。
天然芝の練習場をつくりたいと考えて調べるうち、屋上緑化に関心を持った。屋上は災害時の避難場所ともなるため、「屋上農園で野菜を作れば非常食にもなる。畑のない中央区で普段から収穫し、銀座や日本橋の飲食店で出せば地産地消が実現し、子どもたちの食育になる」と思い描く。
一五年中央区長選、一六年港区長選に続く挑戦。築地市場の跡地について「一石を投じたい」。屋上緑化を軸とした再開発プランを都に提示したい考えだ。
◆AIの区政への活用模索
上杉隆(うえすぎ・たかし)さん(50) 無新
衆院議員秘書を経て、ジャーナリストなどとして活動。五十歳を迎え、「欲がなくなり、社会のため、人のためという気持ちになった」。一月、京都・聖護院門跡で得度した。
勝どきに二十年住み、月島、晴海など湾岸エリアの人口急増を体感してきた。江戸時代から栄えた日本橋、京橋地区を「日本の文化の中核」と位置付けた上で「伝統を生かしながら新しい住民を巻き込みたい」。区民の提案を政策に吸い上げるため、「自分を媒体として使って」と訴える。
情報通信技術(ICT)や人工知能(AI)の区政への積極活用も模索する。
◆幸村を敬い信念に生きる
西田主税(にしだ・ちから)さん(56) 無新=立共由社
環境省の官僚として約三十年間働いた。北九州市の農家に生まれ育ち、「田植えを手伝い、リヤカーに野菜を積んで売り歩いた経験から、経済官庁ではなく、弱者の立場で考える省庁で働きたいと考えた」
外務省や世界銀行に出向し、国連環境条約交渉や環境開発問題に携わった経験をふまえ、「交渉力と実行力を区政に生かしたい」と目指すリーダー像を語る。
「忠臣蔵」の主人公の長男・大石主税にちなんで名付けられた。自身は真田幸村に引かれるという。「恩顧のある豊臣方につき、徳川家康を追い詰めた。自分も信念で生きたい」
◆半世紀続けた剣道は七段
山本泰人(やまもと・たいと)さん(70) 無新=自公
家業の海苔(のり)店で副社長を務め、商品開発に携わってきた。朝食やおにぎりに出番が限られていた海苔を食べてもらう機会を増やそうと、ゴマやウメなどをはさんだ新商品を手掛け、約十年をかけて定番に育て上げた。利益が出るまで年月を要したが「時代の期待に応えられる」と周囲を説得した。「新しい需要に応えるには企業に変化が必要。変化に対応が求められるのは行政も同じ」
高校時代に始めた剣道を半世紀以上続け、七段の腕前を持つ。「不動心や物事を冷静に見る目の付け方は剣道で養われた」。毎朝の素振りが日課という。
◇文京区(2候補)
◆全国で初の育休取得首長
成沢広修(なりさわ・ひろのぶ)さん(53) 無現<3>
二十五歳の若さで区議となった後、区長を三期務めた。「広範な区民の代表」として政党からの推薦を初めて受けない。多選については「裸の王様にならないよう、地域を歩き、区民の声を聞いて回る。継続が区の発展になる」と説明。子育て施策などの実績を自負し、「持続可能な開発目標(SDGs)などの視点で、さらに自治体の価値を広げる」と決意は固い。
全国の首長で初めて育休を取得したことでも知られる。気晴らしは小学生の長男と遊ぶこと。「地域を守り育ててきた高齢者と、地域の宝の子どもたちへの支援を拡大していく」
◆趣味は俳句の石碑の拓本
小竹紘子(こたけ・ひろこ)さん(77) 無新=共
「消費税や国民健康保険料の引き上げで区民は生活が大変。このままでは、暮らし破壊が深刻化する。変えなければならない」と、区政への思いを語る。
練馬区出身。幼少期に戦争を経験し、祖母は広島で被爆したことから、「平和な世界にしたい」と思いを強めていった。文京区内の診療所でケースワーカーとして働き、高齢者の医療費無料化や保育環境の改善などを求める運動に参加。区議を六期、都議を三期務めて、住民から寄せられる声に答えてきた。
俳句や戦争関連の石碑などを拓本するのが趣味。夫と三男との三人暮らし。
◇江東区(3候補)
◆富士山や北岳などを踏破
吉田年男(よしだ・としお)さん(71) 無新=共
二〇〇五年以降、衆院選に五回、区長選に二回立候補して落選し、今回が八回目の挑戦となった。
福島県鏡石町の農家に生まれた。工業高校を卒業した後、上京して造船所の基礎工事などに従事。ベトナム戦争を背景に、反戦平和を掲げる共産党の理念に共鳴し、一九六九年に入党した。二〇一二年から江東地区委員会委員長を務める。「社会保障の削減は許さない。子育て世代も高齢者も安心して住み続けられる区にしたい」と目標を語る。
山が好き。富士山や北岳などに登頂したほか、「峠を歩くと暮らしに根差した人間のにおいを感じる」
◆「臭い街」友の言葉に発奮
山崎孝明(やまざき・たかあき)さん(75) 無現<3>=自公
江東区で生まれ育った。大学時代、遊びに来た友人の一言が人生を決めた。「おまえの街は臭いなあ」。区にはごみの最終処分場があり、悪臭やごみ火災、交通渋滞などの懸案を抱えていた。「誇れるような街にしてやる」と胸に誓った。
二十代で都議に挑んだが落選し、区議の座をつかんだのは三十九歳の時。都議も経て二〇〇七年、区長に初当選した。「予算の執行権を持つ区長の方が、自分の考えを政策として実現できると考えた」
三期十二年の歩みを「どんな相手であれ、大切に敬いながら多くの絆を積み上げてきた」と自負する。
◆難病患者など支援に尽力
遠藤洋平(えんどう・ようへい)さん(39) 無新
大学三年の時、社会保険労務士の資格を取得した。「専門性を身につけたかったし、労働法のルールを知らないで社会に出るのは良くないと考えた」。卒業後はサラリーマンとして経理や不動産管理に携わり、「会社のルールや働き方を学ぶことができた」。現在は難病患者や外国人、若者世代などを支援するボランティア団体を率いる。
ミャンマー出身の妻(37)と長男(3つ)を育てている。一緒に遊びながら「どうやったら息子が楽しんでくれるか」を探る日々。「自分の子だが、地域・社会の子でもある。大切に育てていく責任を感じる」
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