紙面から

<リオへ届け 被災地からのエール> ボクシング・成松大介 普段通り「行ってこい」

日の丸に寄せ書きし、成松(前列右)を送り出す糸石さん(同左)ら=熊本市で

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 リオデジャネイロ五輪がまもなく開幕する。4年前のロンドン五輪では日本選手団が過去最多の38個ものメダルを獲得し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から立ち直ろうとする日本に勇気を与えた。今年4月には、熊本を中心に九州が大きな地震に襲われた。熊本ゆかりの選手は、リオで活躍することで、困難な状況にある故郷を元気づけようと誓っている。そんな地元のヒーロー、ヒロインに、熊本のスポーツ関係者らがエールを送る。(この連載は、平松功嗣が担当します)

 突然、豪華なシャンデリアが揺れた。今月9日、熊本市内のホテルで開かれたボクシング男子ライト級・成松大介(自衛隊体育学校)のリオ五輪激励会。開会して数分後に、下から突き上げるような縦揺れ。熊本市内で最大震度4、会場のある中央区も震度3を観測した。今も熊本では余震が起き、住民はそのたびに肝を冷やしている。

 震度7の前震があった今年4月14日夜、成松は市内の飲食店にいた。競技を始めた高校時代に手ほどきしてくれたボクシング塾の指導者、糸石光宏さん(36)らが経営する店だ。五輪出場を決め、あいさつも兼ねて帰省。恩師と祝いの杯を交わしていたところだった。16日未明に本震が襲った時は、市内の実家にいた。

 大事な体を心配する家族は一刻も早い帰京を勧めた。しかし、成松は首を縦に振らなかった。弟の広大さん(23)によると「ここで帰ったら、男として、人間として、なんで帰ってきたってなる」と話していたという。

 予定通り10日ほど熊本にとどまった。最初の数日は車中泊。日中は働く家族に代わり、避難所にいる祖父に寄り添った。災害派遣の自衛官の姿を見て、自衛隊体育学校に所属しながら何もできない歯がゆさも感じた。そして被災地を目の当たりにする中で「自分にできることは、五輪で活躍して明るいニュースを届けること」と心が決まった。

 家族は「大変なときに地元の皆さんから応援していただく重みをさらに感じたと思う」と目を細める。同時に、父の裕一さん(53)は「けがなく無事に帰ってきてくれさえすればいい」。郷土を元気づけるために活躍を願いつつ、正直な親心ものぞかせて控えめにエールを送った。

 被災地を代表するという重荷を背負わせたくないという思いもある。糸石さんは「震災のことより自分のボクシングをすること。そうすれば、おのずから結果はついてくる」。そしてこれまでの他の大会の時と同じように、熊本から送り出した。「大ちゃん、行ってこい」

◆後輩から寄せ書き

 成松の激励会には、蒲島郁夫・熊本県知事や県内のボクシング関係者ら約270人が出席。蒲島知事は「これまで震災の対応に追われてずっと防災服を着ていたが(会に出席するため)久しぶりに平服を着た。五輪で金メダルを取って、熊本に勇気と力を与えてほしい。それが日常を取り戻す力になる」と激励。母校の後輩からは、寄せ書きの書かれた日の丸が贈られた。

 成松は「目標は金メダルを獲得して、日の丸を掲げること。被災した方々が少しでも希望が持てるような試合をやりたい」とあいさつ。激励金も贈呈されたが、成松自身がその場で出席者に了解を取り、震災の義援金として活用することが決まった。

 <なりまつ・だいすけ> 熊本農高時代にボクシングを始め、東農大に進学後に、全日本選手権で6度優勝。今年4月のリオ五輪アジア・オセアニア予選で3位となり、五輪出場枠を獲得して日本代表に決まった。26歳。

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