紙面から

五輪迷ったとき「絶対に行け」 興梠、恩師に背中押され

 リオデジャネイロ五輪で、日本選手団の先陣を切って4日(日本時間5日)に初戦のナイジェリア戦に臨むサッカー男子日本代表。活躍が期待されるJ1浦和のFW興梠慎三(30)は恩師のために、初の五輪に挑む。宮崎・鵬翔高サッカー部時代に指導を受け、五輪出場への背中を教えてくれた監督に成長した姿を見せるつもりだ。 (上條憲也)

 「一番の恩人。何を言われても受け入れようと思える存在」。鵬翔高サッカー部時代の監督で、今春から同部総監督の松崎博美さん(65)について興梠が語る。

 興梠にとって、松崎さんは特別な存在。受験に失敗した興梠を鵬翔高に入学させたのが、松崎さんだった。小学5年からサッカーを始めた興梠は中学で点取り屋として活躍。松崎さんは「点が取れる位置に本能的に走り込むような、野性味があった」と振り返る。

 だが、入学した最初の夏、興梠は部活に顔を出さなくなった。特待生でないため、所属はBチーム。Aチームとの差から「サッカーが面白くなかったんだろう」と松崎さん。「部活を辞めたい」と言い続ける興梠を職員室に呼んだり、電話で連絡したりと説得した。

 「サッカーより楽しいことはいっぱいある。部活も辞めていたら、どうなっていたか分からない。せっかく、部活に入ってくれた子だからね」。やがて、興梠は才能を開花させていった。

 五輪を決断させたのも、松崎さんだった。原則23歳以下で争う五輪サッカー男子で、興梠は最大3人を登録できるオーバーエージ(24歳以上)枠での選出。五輪期間中、所属の浦和でポジションを失うことを恐れ、参加を迷い、「断るつもり」と松崎さんに電話で報告した時、「絶対に行け」と一喝された。

 鹿島時代、イタリア・メッシーナから受けた獲得オファーを断った時も「成長につながるのに、なぜ行かないのか」と怒られた。再び背中を押してくれた恩師のためにも、興梠は「自分がどれだけできるか楽しみ」と話している。

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