紙面から

ケガの4年「辛」から「幸」に 重量挙げ銅・三宅宏実選手

女子48キロ級ジャークで107キロに成功し、バーベルをなでて喜ぶ三宅宏実選手=リオデジャネイロで(共同)

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 こんなに笑ったのはいつ以来だろう。この五カ月は腰痛で思うような練習ができず、泣いてばかりいた。銅メダルを決めると、とびはねて喜び、バーベルにほおずりした。「十六年間共に練習してきたので、バーベルをハグして『ありがとう』と言いたかった」

 三宅は「あれは奇跡だった」と言う。スナッチの1、2本目を失敗し、次もミスしたら「記録なし」で四度目の五輪は終わる。会場の誰もが諦めかけていた。そして迎えた3本目。重量81キロを両手で支えてしゃがむと、身長一四七センチの体がきしんだ。ぐらりと体が揺れる。「私の夏は終わったと思った」。お尻が地面に着きそうになる。耐えた。グッと下半身に力が入る。そこから一気に持ち上げた。

 ヘルニアと診断され、かがむだけで痛い。左足の感覚はない。三日前に痛み止めの注射を打ち、試合前には鎮痛薬を服用した。満身創痍(そうい)の体で戦い、ジャークでは107キロを記録した。

 三十歳。ロンドン五輪以降はケガに苦しんだ。「この四年は漢字で例えるなら『辛(つらい)』の一字だった」と打ち明ける。「『辛』を乗り越えれば『幸』になる。(漢字に)横線一本入ると信じてやってきた」

 一日七時間の練習を十六年間続けてきた。「なによりウエートリフティングが好き。こんなに夢中になれるものは生涯ない」。ケガをした後も練習量は変わらない。軽い重量を黙々と挙げ続けた。

 故障を乗り越え、つかんだ二大会連続のメダル。「本音ではダメだと思っていた。今回が一番うれしい」。三宅にとってロンドンの銀より輝く銅メダル。競技と真摯(しんし)に向き合ってきたからこそ、「辛」の先には「幸」が待っていた。 (リオデジャネイロ・森合正範)

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