紙面から

フェンシング・太田、まさか初戦敗退 元世界王者、引退の意向

男子フルーレ個人予選初戦で敗れ厳しい表情を見せる太田雄貴=今泉慶太撮影

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 男子フルーレ個人が行われ、2008年北京五輪の個人、12年ロンドン大会の団体で銀メダルを獲得している世界ランキング2位の太田雄貴(森永製菓)が初戦の2回戦でトウド(ブラジル)に13−15で敗れた。 (共同)

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 6日には女子エペ個人が行われ、佐藤希望(大垣共立銀行)は3回戦でロンドン五輪金メダリストのシェミャキナ(ウクライナ)を破ったが、準々決勝で金メダルを獲得したサス(ハンガリー)に4−15で敗れ、8位だった。日本勢のこの種目での8位入賞は男女通じて初。 (共同)

◆「未練なく、すっきり」

 太田雄貴(30)が7日、リオデジャネイロ五輪の個人で初戦敗退後に現役引退の意向を表明した。

 地元ブラジル選手への大歓声が沸き起こる中、太田はしばらくうつむいていた。昨年の世界選手権王者がまさかの初戦敗退。13−12から3ポイント連取を許し、あっけなく終わった。試合後には、ピスト(試合場)に手を置き、別れを告げた。

 「これで未練なく現役を退ける。すっきりしている」。自ら進退について切り出し、現役引退を表明した。「集大成」として臨んだ4度目の五輪。「こんな幕切れになると思っていなかった。五輪の金に対する覚悟が足りなかった。ずっこけて終わるのも僕らしい」と笑顔まで見せた。

 2008年北京五輪で銀メダルを獲得。一気に知名度を上げると、12年ロンドン五輪でも団体に銀メダルをもたらす。スピードと手先の器用さを武器に「手足の短い日本人には不利」という常識を覆した。日本協会の星野正史会長は「太田がいなければフェンシングはここまで注目されていない。下の世代に勝ち方も示した。功績は大きい」と感謝する。

 20年東京五輪・パラリンピックの招致活動に関わるなど、競技外の仕事も増えていた。今後はスポーツ界にとどまらず、活動の幅を広げていく。「選手が引退した後の選択肢が少ない。コーチやスポーツ関連以外のものをやりたい。世の中の人を驚かすことができればいい」

 小学3年から競技を始めて22年。もうやり切った。未練はない。笑顔で新たな世界へと旅立つ。 (リオデジャネイロ・森合正範)

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