紙面から

競泳男子200個メ 次代のコウ介、信頼の「銀」

男子200メートル個人メドレー決勝銀メダルを獲得した萩野公介の自由形=リオデジャネイロで(今泉慶太撮影)

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◆怪物に2秒差「もっと強くなりたい」

 熱望したフェルプスとの対戦だった。男子200メートル個人メドレー決勝。萩野は、優勝した「永遠のスター」に2秒近い差をつけられた。だから、銀メダルもほろ苦い。「もうちょっといい勝負をする準備をしてきたし、そうでありたいと思ってトレーニングを積んできた。それができなかった悔しさが、すごくある」と渦巻く胸中を明かした。

 1分56秒台のタイムも不満。得意なはずの背泳ぎが伸びなかった。「スピードが出ていない。強さが足りなかった」と萩野は振り返った。

 要因を探ると、昨年6月の右肘骨折の影響が浮上する。まだ完全には伸びない状態で、平井伯昌コーチは「痛みも出ている」と説明する。萩野も優勝した400メートル個人メドレー決勝の背泳ぎ一かき目で「肘がパキッとなった」と明かしていた。来季以降を見据え、五輪後は完治を目指した手術も選択肢の一つになる。

 今大会は金、銀、銅の三つのメダルを獲得した。「素直に喜ばなければいけない半面、悔しい思いもある。ぜいたくだと言われるかもしれないが、もっともっとできたんじゃないかなと思う五輪だった」。納得しようとしながら、できない自分がいる。

 4年後は地元開催の五輪。競泳ニッポンの顔としてさらなる成長を遂げるため、平井コーチは「海外の試合にどんどん出て行って、経験を積ませ、東京五輪では複数の金メダルを取れるようにしたい」と語る。「強くなりたいし、それがどれだけ難しいか分かった上で挑戦していきたい」。2度目の大舞台を泳ぎ終え、萩野は静かに誓った。 (高橋隆太郎)

◆北島さんのように…日本の顔、継承

 今大会三つ目のメダルは銀色だった。競泳男子200メートル個人メドレーで表彰台に立った萩野。その名前は、母貴子さん(52)自身の候補だった「公子」に由来する。育児雑誌によれば萩野姓との相性も抜群。引き寄せられるように決まった。偉大な「コウスケ」の背中を追う運命が待つとは、夢にも思っていなかった。

 4年前のロンドン五輪で銅メダルを獲得した高校3年生に対し、膨らむ期待はリオデジャネイロ五輪での金メダル。同時に五輪2大会連続2冠に輝いた日本のエース、北島康介さん(33)の後継者の誕生だった。だが物語は苦難に満ちる。昨年6月、海外合宿中に自転車で転倒し、右肘を骨折してしまう。

 「ライバルは自分」と公言してきたように、萩野は自らとのみ向き合ってきた。しかし真の強さは、周囲と結び付いて強度を増す。誰からも信頼され、どんな時でも競泳ニッポンを引っ張り続けた北島さんのように。

 突然の窮地で、萩野が在籍する東洋大の監督で、日本代表を率いる平井伯昌コーチは「けがの功名」を狙った。泳げない間は水泳部のマネジャーを務めさせ、その後、主将に就任させた。萩野は周囲を思い、自らをさらけ出し、他者との関わりに心を砕いた日々を「泳げないからこそ何ができるのかを考えた。すごく濃かった」と振り返る。スマートさが目立った言動に、感情の発露が見え始めた。

 迎えたリオ五輪。開会式翌日の男子400メートル個人メドレーを確実に制し、競泳陣のみならず日本選手団全体に流れを呼び込むけん引役を果たした。一大会3個のメダル獲得はアテネ、北京五輪の北島さんに並ぶ。競泳ニッポンの顔だった「康介」から、その称号を受け継ぐ「公介」は、「もっと強くなりたい」と4年後の東京五輪を見据えた。(高橋隆太郎)

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