紙面から

バドミントン女子ダブルス・タカマツ至高の連係 窮地で5点連取 大逆転 

女子ダブルス決勝でデンマーク組を破り、金メダルを獲得した高橋(右)、松友組=リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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◆日本勢初の金メダル

 女子ダブルス決勝で高橋礼華、松友美佐紀組(日本ユニシス)がリターユヒル、ペデルセン組(デンマーク)を2−1で下し、全種目を通じて日本勢初の金メダルを獲得した。第1ゲームを18−21で失ったが、第2ゲームを21−9で奪い返し、第3ゲームを16−19から5連続得点でものにした。

 第15日の19日は、女子シングルスで奥原希望(日本ユニシス)はシングルスの日本勢初の表彰台となる銅メダル獲得が正式に決まった。3位決定戦で対戦予定だった李雪〓(中国)がけがで棄権したため、不戦勝となった。決勝はマリン(スペイン)がプサルラ(インド)に2−1で逆転勝ちし、金メダル。 

  (共同)

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 表彰台の真ん中で君が代を聴き、バドミントン女子ダブルスの高橋と松友は、ようやく金メダル獲得の実感が湧いたという。男女の全種目を通じて日本勢初の快挙。松友は「自分でやっておいてなんですが」と前置きしつつ、「バドミントンの会場で君が代が聴ける日が来るとは思っていなかった」と笑った。

 バドミントンが正式競技となったのは1992年のバルセロナ五輪から。女子ダブルスはこの時は韓国ペアが制したが、その後はロンドン五輪まで5大会連続で中国ペアが金メダルを独占した。今大会で直接対決はなかったが、24年ぶりに女王の牙城を崩し、松友は「中国ペアを目標にしてやってきた。中国がつくってきたものを壊せたのはうれしいし、今の自分たちがあるのも中国選手がいたから」と珍しく興奮気味に話した。

 決勝はデンマークのペアと対戦。相手の速攻と堅守にはまって第1ゲームを落としたが、第2ゲームはショットに緩急や高低の変化を交えて21−9と圧倒した。第3ゲームは終盤の連続失点で16−19と追い込まれたが、5連続得点で逆転勝ち。高橋は「実力が世界一とは思っていないけど、コンビネーションは世界一だと思う」と胸を張った。

 2004年アテネ五輪で、日本勢は男女の全種目を通じて1勝しかできなかった。この惨敗を受けて招かれたのが、ダブルス金メダリストで英国やマレーシアでも指導した朴柱奉(パク・ジュボン)監督だった。当時は実業団の活動が優先され、海外遠征は空港で集合、解散が当たり前。これを遠征前に必ず合宿をして選手を鍛えるようにしたり、あえてレベルの高い国際大会に派遣して力の差を肌で感じさせたりと、改革の手を打ってきた。

 また、日本協会も小学生の大会を新設し、13歳以下の代表を設けるなど、より低年齢から試合や国際経験をつめる環境を整備。高橋や松友、女子シングルスの奥原らも、この流れの中で強化された。

 金メダルを取ったにもかかわらず、松友はミスが多かったこの日の内容に「満足していない」という。常に五輪の表彰台を狙える、新時代の呼び水になるかもしれない金メダルだった。 (リオデジャネイロ・井上仁)

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