紙面から(パラリンピック)

シリア内戦で脚切断のフセイン選手 難民初の「金」に挑む

リオ・パラリンピックの開会式で入場行進する難民選手団の旗手イブラヒム・フセイン選手とシャハラッド・ナサジプール選手(その右)=7日、リオデジャネイロで(共同)

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 【リオデジャネイロ=本社取材団】四年に一度の障害者スポーツの祭典が、初めて南米の地で幕を開けた。五輪閉幕から半月たって始まったパラリンピック・リオデジャネイロ大会。カラフルな照明で彩られたマラカナン競技場に、多様な人種、さまざまな障害の選手たちが一堂に会した。日本選手団も、笑顔で日の丸を振りながら入場した。

 リオデジャネイロ五輪で注目された難民選手団がパラリンピックでも結成され、七日の開会式では二人の男子選手が各国選手団の先頭で行進した。シリア出身のイブラヒム・フセイン選手(27)は、内戦下で右脚の一部を失った競泳選手。五輪出場の夢を絶たれた失意の底から逃亡先のギリシャで再出発し、「難民選手として初の金メダル」という新たな目標に挑む。

 三本の曲線を描いたパラリンピックの旗を高々と掲げながら笑顔を見せたフセイン選手。数年前は笑うことなどできなかった。

 「右脚とともに夢も吹き飛んだ」。大会組織委員会のホームページでそう語ったフセイン選手は、競泳で五輪出場を目指していた。

 生まれ育ったシリア東部のデリゾールは、二〇一一年に内戦が始まってから、政府軍と反体制派、過激派組織「イスラム国」(IS)が入り乱れる激戦地になった。一三年のある日、戦闘に巻き込まれた友人を助けようと飛び出した路上にロケット弾が落下。爆発して右脚の膝から先が吹き飛んだ。絶望と痛みに耐えられず、トルコへ逃げ出した。さらにボートに乗ってたどり着いたギリシャで、転機が待っていた。

 リハビリを受けながら、難民支援に携わる女性に促され、再びプールへ。満足に泳げなかったが、続けるうちに水をかく感覚が戻ってきた。練習が生きる喜びとなり、新たな目標がフセイン選手を奮い立たせる。

 戦争中にけがを負った軍人の治療と社会復帰を目指すスポーツ大会がパラリンピックの原点。「過去は振り返らず前だけを見る。けがで夢を諦めた人に自分の姿を見てほしい」。内戦下の絶望から夢を取り戻したフセイン選手は、十二日の100メートル自由形と十三日の50メートル自由形に出場する。 (北島忠輔)

 <難民選手団> 紛争などで母国を追われた難民で、出場基準を満たす選手で結成する特別チーム。リオ大会から初めて参加が認められ、五輪では10人が出場。パラリンピックではフセイン選手と、イラン生まれで米国在住の円盤投げ選手、シャハラッド・ナサジプール選手が参加する。

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