「金、私が取りたかった」 車いすマラソン4位・土田選手
車いすマラソン女子力走し4位になった土田和歌子選手(手前)=リオデジャネイロで(田中久雄撮影) |
パラリンピック旗が東京へ引き継がれた。リオデジャネイロ大会最終日の十八日、旗を受け取った小池百合子知事は二〇二〇年大会への意気込みを語り、選手や大会関係者は東京への期待を口にした。日本待望の金メダルに期待がかかった女子マラソン(車いす)の土田和歌子選手(41)=東京都多摩市、八千代工業=は四位の結果を悔しがりながらも、複雑な胸中をのぞかせた。
日本全体で金メダルがないまま迎えた最終日の最後の種目。最後まで誰が勝つか分からない車いすマラソンらしい熱戦を終え、土田選手は「残念だけど、自分の力を出し切った42・195キロだった」と目を潤ませた。
上位陣の競技用車いす「レーサー」が一斉にゴールラインになだれ込む。四番目にゴールした土田選手はやや苦笑いし、首を大きく左右に振った。今大会、日本の金メダルゼロが確定した瞬間。「私が取りたかった」と残念がった。
海沿いの平たんな周回コース。当初から「駆け引きの場面は少ない」と踏んでいた。40キロすぎまで上位八人がけん制し合う予想通りのだんご状態。41キロで土田選手がラストスパートを仕掛けたが、米国選手同士の連係にコースを阻まれるうち、左サイドから中国選手に抜き去られた。
高校二年生の時、交通事故で車いす生活に。卒業後は都職員となり、一九九八年の長野冬季大会で、小型のそりで速さを競うアイススレッジで二つの金メダルを獲得した。九九年に陸上に転向し、二〇〇〇年シドニー大会後に退職してプロの道へ。〇四年のアテネ大会では5000メートルで金。日本人で初めて夏季、冬季ともに金メダルを獲得した。
北京ではクラッシュ、ロンドンでは転倒する不運に見舞われ、メダルから遠ざかっていた。結婚して長男慶将君(10)が生まれた。「家族ができて、勝てないと言われるのは悲しい。子どもに見せたい」とメダルを求めてきた。
世界を転戦するため、自宅を空けることが多い。それだけに目標に向かって努力する姿を結果で示したいと思ってきた。家族は東京にとどまったが「力を出し切った。いいレースだったと言いたい」。 (荘加卓嗣)