陸上・岡村破顔 雪辱の銅 弱視進行と闘い、ロンドン超え
男子マラソン(視覚障害)3位でゴールする岡村正広=田中久雄撮影 |
上げた両手でガッツポーズを繰り出しながらゴールした。陸上男子マラソン(視覚障害)の岡村正広(46)は4位だった2012年ロンドン・パラリンピックの悔しさを晴らす銅メダル。「本当にうれしい」。炎天下でペースを乱さず走りきり、日焼けした顔をくしゃくしゃにした。
遺伝性の網膜色素変性症で小学生のころから目が見えにくくなっていった。進行性のため、今の視界は中心のみ。「太いストローをのぞいたような」視野だ。
子どものころからスポーツが好きだったが、球技はボールがよく見えないため、中学校の陸上部で3000メートル走を始めた。長距離ほど向いていることが分かり、愛知県豊橋市の愛知大に通っていたころにマラソンを始めた。
静岡地裁沼津支部の書記官だった32歳の時、書類を見る仕事で目を酷使しすぎて視野がさらに狭まった。やりがいを感じていたが「失明の可能性も出てきた」と辞めて、千葉県立千葉盲学校に転職。あんまマッサージと鍼灸(しんきゅう)を教える理療の教諭になった。
弱視でもできるマラソンは生きがいになった。08年の北京パラリンピックは視覚障害者としての出場資格が認められず、病状が進んだことで出場できたロンドン大会はメダルに一歩届かなかった。
練習後は自らはり治療で疲れを取る。50歳で迎える4年後の東京大会を目指すかどうかは、まだ決めていない。これ以上視野が狭まると一人で走ることができず、練習にも他人のサポートが必要になるからだ。
「年齢と病状の進行を考えると、これから全ての大会が集大成になる。リオでメダルを取れて本当に良かった」 (伊藤隆平)