紙面から(パラリンピック)

「日本一の大工」絶たれた二條選手 車いすテニス複3位決定戦へ

女子ダブルス準決勝 オランダ組と対戦する二條(右)、上地組=リオデジャネイロで(田中久雄撮影)

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 元大工の棟梁(とうりょう)という異色の経歴を持つ車いすテニスの二條実穂選手(35)=横浜市西区、シグマクシス=が女子ダブルスで上地(かみじ)結衣選手(22)=エイベックス=と組んで出場し、十二日夜(日本時間十三日朝)の準決勝でシード上位のオランダペアに競り負けた。「日本一の大工」を目指した夢は絶たれたが、車いすテニスで再び夢を追い始めた二條選手は、銅メダルを懸けて十三日午後(同十四日午前)の三位決定戦に臨む。 (荘加卓嗣、北島忠輔)

 「ユー(YOU)!」。二條選手が大声で上地選手に呼び掛けるたびに、二人の息は合っていく。「(先輩の)声で勢いや士気が上がる」と上地選手。二條選手は「(十日に行われた)シングルスで負けているので、より勝ちたい思いが強くなり、それをぶつけた」とダブルスへの思いを語った。

 子どもの頃から、物を作ったり住宅の広告を見たりするのが好きだった。建築に関わる仕事を志し、二〇〇一年、生まれ育った北海道旭川市の住宅メーカーに就職した。男性社会とされる大工を選んだのは「実際に家にいる時間は女性の方が長い。女性目線の家造りをしたい」と思ったから。どうせなら「日本一を目指す」との心意気だった。

 専門学校時代から現場でアルバイトをしていた実績と働きぶりが認められ、早々と二、三人の大工を束ねる棟梁に。「力仕事では負けることがあるけど、仕上げなどそれ以外の所をきっちり丁寧にやろう」と心掛けていた〇三年十二月、事故は起きた。

 建築現場の足場で作業中、貧血を起こして後ろ向きに転落し、脊髄を損傷。車いす生活になり、大工の仕事はできなくなった。

 八カ月入院し、退院が近づいた頃、テレビで車いすテニスの試合を見た。中学、高校時代はソフトテニス部に所属し、大工になってからもテニススクールに通っていた。「コートに戻れる日が来るかもしれないと思い、わくわくした」

 退院して五日後から競技を始めた。海外遠征で世界レベルの選手のプレーを見て実力不足を痛感し、指導者を求めて〇七年に横浜市に転居。その際、北海道の関係者に誓ったのがパラリンピックへの出場だった。

 いつか家を建てたいとためていた資金を切り崩した。ロンドン大会出場はかなわなかったが、「ここで終わるわけにはいかない」と肩の故障も治して踏ん張った。

 「障害者になり、できないことは増えたが、世界は広がった」という二條選手。ダブルス世界ランキング一位の上地選手と息を合わせ、銅メダルを目指す。

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