紙面から(パラリンピック)

山本選手 幅跳び銀 身体能力・知識 強いハート弾けた

男子走り幅跳び決勝4回目の跳躍をする山本篤選手=リオデジャネイロで(田中久雄撮影)

写真

 陸上男子走り幅跳びで銀メダルを獲得した山本篤選手(34)は高校二年の時にオートバイで事故に遭い、左膝の少し上から切断。卒業後は日本聴能言語福祉学院義肢装具学科(名古屋市)に進んだ。「最初は伏し目がちで将来に不安を抱いてるように見えた」。教員の中川三吉(みよし)さん(48)は振り返る。

 バレーボール選手として垂直跳び一メートルのジャンプ力があり、事故の前までスポーツ万能だった。授業を受け、ばねのように弾力がある陸上用義足の存在を知った。どう力をかければ推進力や跳躍力を得られるか、理論も学んだ。公園や陸上競技場で走ったり、跳んだりする練習を始め、表情が明るくなっていったという。

 当初は義足製作所への就職を考えていたが、三年間の勉強を終えるころには、パラリンピアンを目指せる練習設備が整った大阪体育大への進学を選んでいた。

 「雨の中、こけるまで全力疾走した姿を今でも覚えている」。同大名誉教授の伊藤章さん(68)の記憶は鮮明だ。当時、体育大に障害者が入学するのは一般的ではなかった。実技能力を見極める試験の100メートル走を、体育学部教授だった伊藤さんが担当した。

 トラックは雨でぬれていた。山本選手は80メートルほどまでは順調に走った。伊藤さんが「いい走り」と思った直後、勢いよく転び、肩を脱臼して医務室に運ばれた。「この先もっと激しいけがをするかもしれない。懲りたか?」と伊藤さんが尋ねると、「全然平気です」との答えが返ってきた。伊藤さんはその意欲に将来性を感じた。

 もともとの優れた身体能力に加え、専門学校で学んだ義足の知識、そして前へ進もうとする強いハートが、リオの大舞台で二〇〇八年の北京パラリンピックに続く銀メダルをもたらした。 (伊藤隆平)

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。