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東京都知事選

直言 首都どうする(1) パラリンピック

吉田紗栄子さんは1964年東京パラリンピックでボランティアをした。「海外の選手からバリアフリー住宅というものを教えられた」と言う

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◆高齢社会の住まいをつくる会・吉田紗栄子理事長

 一九六四年、東京で五輪の後にパラリンピックが開かれた。大学三年生だった私は日本赤十字のボランティアとして、イタリア選手団の通訳と介助を担当した。当時は、街で車いすで移動する人を目にすることはなかった。代々木の選手村を身体障害者が使えるようにと、自衛隊が三日間の突貫工事でバリアフリー化した。

 その時と比べれば、東京は天と地ほど変わった。バリアフリーの施設が整い、街なかを車いすで移動する人が増えた。それでも、障害者が好きな時、好きな場所に自由に行ける環境にはなっていない。

 日本はこれから高齢者が多くなる社会になる。年を取れば若い時にできたことが、できなくなる。東京は高齢者にも住みやすい街とは言えない。二〇二〇年に再びパラリンピックが開かれ、世界中から集まった障害者に「東京にまた来たい」と思ってもらいたいのに。私たちの障害者への理解はまだまだ遅れている。

 「心のバリアフリー」という言葉は好きではないが、子どものころから障害者が身近にいると、特別視せずに接することができるようになる。パラリンピックでは、小学校高学年より上の子どもたちが選手団と長く交流してほしい。障害があっても「普通」に生きていることを実感できるはずだ。私自身は、海外の選手が日本のように病院や施設ではなくバリアフリーの家で暮らしていると知ったことが身体障害者用の住宅設計を目指すきっかけになった。

 六千人が滞在する選手村は大会後に民間利用される。二〇二〇年ではなく、さらに五十年後の超高齢社会を想定した建物と街にするよう、知恵を絞って世界に手本を示すべきだ。

 私は選手を自宅に招く計画をしている。車いす利用者はどういう経路で家に来るのか、駅のエレベーターは利用しやすいのか、家のトイレには入れるのか。考えてみると、いろいろな障壁に気がつく。

 バリアフリーは生き方の選択肢を広げる。それはどんな人にも関係する。パラリンピックは誰もが安全に暮らせる街への新たなスタート地点。五十二年前がそうであったように。

 (聞き手・小川慎一)

<よしだ・さえこ> 1943年生まれ。文京区出身。1級建築士。バリアフリー設計の先駆者として知られる

 

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