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<小池都政どこへ>(下) 改革志向の底流 息づく自民
東京都議選が告示されて二日後、六月二十五日の日曜日。小雨が地面をぬらす中、小池百合子知事が率いた「都民ファーストの会」の演説会場で、三人の男が顔を合わせた。自民党を離れて「都民」から出馬した陣営の関係者が、「都民」の幹部に対し、業界団体の幹部を紹介していた。 「都民」の幹部は、選挙戦をシンクロナイズドスイミングに例えて言う。「水面上の華やかさは小池氏が、水面下の話は私が担当。票に直結したかは分からないが、地道に汗もかいている」 巧みな演説で聴衆を沸かせる「空中戦」が得意な小池氏。その一方で、「都民」の幹部は、自民の基盤となっている業界団体の切り崩しも熱心だった。 小池氏側に歩み寄った団体もあった。都医師会のある役員は「こんなに話を聞いてくれる知事はいない」と絶賛。「都民」は、都医師会の受動喫煙防止条例の素案を考えた弁護士を候補者に立てた。小池氏も遊説のたびに条例制定の必要性を訴え、蜜月ぶりをアピールした。 小池氏は選挙期間中、自民の選挙戦術について、本紙の取材に「組織選挙が徹底している。でも、そういう組織って既得権の組織。そういう党に改革はできない」と語っている。だが、「都民」から当選した追加公認を除く四十九人のうち、元自民系の都議や区議、元秘書らは十人を超える。 小池氏の改革志向は、一九九二年に発足した日本新党(当時)が出発点だ。金権政治が批判された自民への対抗勢力として、同年の参院選で日本新党から出馬して初当選した。 ただ、今回の首都決戦を注視してきた元滋賀県知事の武村正義・元新党さきがけ代表は苦笑いする。「ここまで自民党にこだわってきた政治家はいない。離党届を出しても、まだ自民にこだわっている」 武村氏は九三年に日本新党などと非自民の連立政権を誕生させ、自民を下野させた一人。その連立政権は内部から崩れ、翌年六月、新党さきがけと社会党(当時)は自民と連立政権を発足させた。一年足らずで自民を政権に戻した一人でもある。 九三年に衆院議員にくら替えした小池氏はさまざまな政党を渡り歩き、二〇〇二年に自民に。昨年夏の知事就任後は党籍をあいまいにしたまま、「都民」を立ち上げ、離党届を出したのは今年の六月一日だった。 「ふるい都議会を、あたらしく」。小池氏は都議選の告示日(六月二十三日)に公認候補五十人にげき文を送った。自民が支配していた都議会の改革を訴え続けた小池氏。結果、「都民」は圧勝したが、底流には自民が息づいている。 (都議選取材班) PR情報
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